西穂独標失敗

西穂独標失敗

このタイトルを見ると、山好きの方は、え?となるであろう。北アルプスの代表的な初心者コースである。

15時45分のくだりロープウェーに息を切らして滑り込んだ。ヘルメット姿の3人連れのおばちゃん達がピラミッドピークの最後まで往復した話が聞こえてきて、我が身の情けなさに、真正面の笠ヶ岳(2898m)を睨みながら、思わず涙をこぼしそうになった。

コロナ禍下、これが真夏の穂高かと嘆ずるほどお客は少ない。

くだりは雲に隠れて見えぬがのぼりはくっきりと左前方に見えた槍ヶ岳(3180m)を2011年に親友と長男と一緒に制していた。

親友は、親孝行と称して、もうお二人とも亡くなられたが、ご両親を連れてきて、上高地帝国ホテルを予約してくれていた。

翌朝4時出発なのでお弁当を頼むとフロントに告げると、当方はそのようなことはいたしませぬと断られた。ここを根城に山に登る者はよほど少ないのだろう。その辺の安宿とは違うということかもしれぬ。

このホテルは大正池つまり上高地の一番入り口にあるので、槍までは最も遠い出発地点である。

多忙な眼科医である親友が組んだ行程は1泊2日、往復44キロ、高低差約2200m。普通は槍沢で1泊つまり登りに2日かける。これを22時間かけて往復した。ホテルに帰ってきたのが翌日の17時頃であるから、37時間のうちこれだけを歩いた。

一旦チェックアウトし余計な荷物は親友のご両親に預けた。

行きは明神池の向こうまで梓川の右岸を進んだ。ヘッドライトを頼りに不気味で真っ暗な林の中を進むが、立派な木道なので、支障はない。

横尾で梓川を渡り返す頃には陽も昇り随分賑やかになっていた。ここまで9キロくらい。

そこからが登りで、しばらく清冽な沢沿いに上がる。リヒャルトシュトラウスのアルペン交響曲の感じ。

表銀座と呼ばれる燕岳から槍まで続く尾根道や奥穂高にいたる涸沢に至る分岐を過ぎる。

不意に右手の尾根の向こうにプイと槍の穂先が見え始める。

手を伸ばすと届きそうな気がする。でも、まわりの登山者は、いや、ここからが遠いんだと、みなぼやいている。

その先から大きな岩の転がるカールとなり、足首がぐねぐねになる。やがて雪渓を通過、冷たい雪解け水が山靴に浸入する。槍の穂先は常に見えているが冷淡にも全く近づいてくる感じがしない。

仕上げが、いつまで続くのだろうというつづら折りで、槍ヶ岳山荘の前に出て、ああ終わったと思い、ふっと右を見ると、不気味な槍の穂先がそこに座っている。

一旦山小屋に入りあてがわれた部屋で3人横になるが、翌日は大雨の予想、親友のお父さんから、濡れた穂先は登っては駄目だと言い聞かされてきたので、荷物を全部置いて、夕暮れの穂先にとりついた。ヘルメットは借りなかったが、指先にゴムを仕込んだ軍手を装着した。山靴のひもをキツくして先を邪魔にならぬところに押し込んだ。

大人が脚を一杯にひらいてやっとという間隔で打たれた鉄杭がいくつかあり、長男がどうやって越えたか判らぬが、いちいち構っている余裕もなかった。

雲が低く下はガスで見えない。これが幸いし高度感をさほど感じぬまま最後の垂直のハシゴを登る。

天空に突き抜けた。頭上の雲と頂の間にほとんど隙間は無く、天から龍が下ってきていますぐ食いつかれてもしょうが無いという感じがした。まわりは相変わらずガスで見えぬが、大腿がワナワナと震え、すぐ先に見えた祠にも這ってたどり着いた。恐怖であり、畏怖である。

長男はハシゴの途中から泣き出し、親友は満足げな表情であった。この登頂は親友の棺桶リストの一つだったという。自分がいかなる表情であったかは知るよしも無い。

落雷もあり得たのでほんの数分とどまった後降りにかかった。有名な北鎌尾根など覗いて見る心の余裕も全く無かった。「孤高の人」の加藤文太郎は吹雪の中ここから北鎌尾根を降りて亡くなっている。

くだりには長野側にここで外せば50mほど落ちるかというきわどい鎖場があり、鎖を握りしめ、お尻を岩にズリズリしながら慎重に降りた。

槍の肩に降り帰って見上げるとさほど巨大な岩峰とも言えないが、これにとりついた間に流れた峻厳な時間をおそらくは一生忘れまい。

山小屋に戻り夕飯。数十人ずつ指定の時間にいっぺんに食わされる。ここは早飯で済ます

食後売店でワインを購入し、小屋の階段の途中に陣取って、ゆっくり乾杯。途中から猛烈な頭痛に襲われるが疲れに任せて寝る。

翌朝は槍沢ほどくらいまでひたすら雨。雪渓の横断は沢歩きの如くになった。

雨宿りする場所が無いので昼飯のおにぎりを食べる暇が無い。とうとうシャリバテ(低血糖)をおこし左右にふらつき始めたところで、後ろから親友に「メシを食え!」と一喝された。ちょうど槍沢ロッジまでたどり着き、醤油ラーメンにありついた。美味かった。

横尾までくると完全に雨は上がった。往路はそうも感じなかったが、そこから徳沢、河童橋、ホテルまでの遠さは堪えた。

当時連絡の手段少なく、天候は崩れ、帰着時間も遅くなったので、ご両親は相当心配されたらしい。お地蔵さんに手を合わせていただいたという。

再度チェックインして汗を流した後メーンダイニングにおいて皆で食事を取った。入るときにチロリアンな服でお迎えをしてくれてオルゴールも鳴らしてくれた。

エメンタールだかを少し焦がしたのがポテトと一緒に出てきて旨みと塩味がワインと混ざっておおいに胃を喜ばせた。

弁当は作ってもらえなかったが、帳消しにした。

翌朝沢渡の駐車場で解散。私は金沢から富山経由で入ったので長男は親友が京都まで迎えに行ってくれていた。帰りも京都まで送ってもらったと思う。

雲間に隠れた槍の方向に目をやりながら、本日の反省に浸った。

9時29分に西穂高口駅(2156m)で登山届を投函、10時55分には西穂山荘(2367m)に至った。この間2kmのアップダウンで、これは予想をはるかに上回る良いペース。トイレも借りるほどで脱水の心配はここまでは無し。醤油味のおにぎりをひとつ食べ、11時まで休憩して西穂高方向へ東邦大学の診療所の脇を右に抜ける。

丸山(2462m)への上がりは大きな岩帯の連続で下腿を酷使する。

ここからはハイマツ帯であり、太陽を遮るものはない。大変な好天であった。しかし、暑い。

眼鏡をサングラスに交換。

丸山のピークと思われる場所で一服したが、次に進んで、それがもっと北側だと知る。

目標の独標(2701m)を射程圏内に捉える。

二人づれの女の子にシャッターを切ってくれと頼まれ、私も私のスマホを渡した。

そこからの長いガレた登りでやられた。

丸山山頂まで標準コースタイムの倍を要してしまっていた。やや焦ってそこからのガレ場をほぼ300m直登するうちに両方の足指が全部痙攣を起こし始めた。2600mは越えていた。

これをごまかしながらなおも脚を動かすと、やがて右の縫工筋、すぐに、右の大腿四頭筋が痙攣し始めた。

こうなると右足は突っ張ってしまい、残りのガレ場登りをこなすのが難しくなる。

岐阜側がよく見渡せる広場で諦めて脚を折り、50センチくらいの岩の上に腰を下ろした。途中のコンビニで買ってきたサンドイッチをポカリスエットで流し込む。

ハイドレーションでやり過ごすつもりで10分20分と様子を見た。立ち上がってみたが歩を進めようとすると痙攣が出る。

12時を過ぎ西穂高岳(2909m)側から暗い雲が迫っている。

独標の北斜面は1967年8月1日午後1時過ぎ落雷による大量遭難のあった場所である。松本深志高校の学生11名が即死した。

独標付近には多くの登山者が見えたが、私より山荘側から登ってくる者は居ない。

13時に独標を降りればロープウェイの最終に間に合う計算を立てていたが、12時半にして独標まで行程約400~500m間に緩やかなピークが3つ残っている。

12時38分、独標をにらみつけ、諦めた。万事休す。この脚を引きずって岩の多い復路を下るには多分3時間は必要である。それは昨年の愛宕山(924m)で学習していた。

西穂山荘まで戻ったのが13時45分、300円で買ったコーラを飲み干して14時に下り始めた。

くだりが意外に長く感じられ、飛騨側に降りる道に迷い込んだかと一瞬思ったが、前方に他の下山者を発見、駅で下山届を出し、15時45分のロープウェイに滑り込んだ。

16時45分の最終ロープウェイを逃すと歩いて飛騨側に降りて良い道は無い。駅に野宿するか、登リ直して西穂山荘に泊まるか、なおもそこを越えて上高地に降りるかである。

くだりのロープウェイのなかで良く日に焼けたおばちゃん達の声を聞きながら反省しきりであった。

新穂高温泉駅でアイスコーヒーを頼んだ。泥を溶かしたようなまずそうな外観であったが、口にするととても美味く感じて1分ほどで飲み干した。

一般的なコースタイムはすでに私には全く当てはまらない。

太りすぎ、トレーニングしなさすぎ。直前のハイドレーションも不十分。

平湯の旅館に着いていくら水を飲んでも喉の渇きが止まらず、数時間尿も出ず、相当の脱水であったと思われた。1キロ先の源泉から引っ張るという平湯の水は甘くて美味かった。

予想外に暑かった。西穂山荘泊まりで夜明けの涼しいうちに独標までたどり着くのが正解であった。

コロナ禍で山小屋泊まりを憚った。団子部屋では誰かの隣に眠ることになる。顔をつきあわせるわけにはいかないので、真上を向いて寝ることになるが、私はそうすると舌根が落ち酸素飽和度が下がる。だいたい猛烈な鼾なので個室以外に泊まるわけにいかない。かつて白山(2702m)に同行した友人が朝目覚めると遠くに避難していた。

金沢を6時に出た。これを5時にしていればあるいは結果は違ったかもしれない。

思えば日帰りの単独行を決めたときから不安はあった。

昨年リハビリにと清滝から愛宕山へあがり、気温は低かったが、やはり頂上付近で下肢の痙攣にやられた。

明智光秀も下ったという愛宕神社から月輪寺への道はかなりのノロノロであった。

4年前ほどにポスドクを連れて赤岳(2899m)に上がった。若いが仮にも部下であるからこっちのワガママは通る。山小屋に着いて疲れ果てて寝ている私を置いて夕飯までの間に赤岳の隣のピークに登って来るなど元気を持て余していたが、赤岳アタックには辛抱強く付いてきてくれた。

ところがくだりで調子に乗ってしまった。

彼に合わせて素早く下って美濃戸口で一風呂やろうともくろんでしまった。登りで山靴を破損してしまっていたにもかかわらず、ペースを上げすぎて、段差をいくつも飛んでしまい、帰宅したら、両側の親指の爪を剥がしてしまった。

足の爪が剥がれるとその下に何があるか、医書を読めば良いので詳しく書かぬが、人間の体は結構うまく出来ている。

おまけに阻血で小指や中指がチアノーゼ様に変色していた。単独であれば途中でちょくちょく靴を脱いで血流を回復したであろう。若い人について行くのでこれを省略した。

危ない症状であった。八ヶ岳はくだりがだらだら長く靴の中の状態は要注意なのだ。

この日のぼりもちょっとおかしかった。

不意に出くわしたくだりのひとを避けようと谷側に逸れた途端クマザサのなかに右足を落とした。そこは実は切れていて、クマザサの根を踏んで必死でバランスを取り戻したが、滑落の危険性があった。

しかし、よけられた単独行のおじさんは、だいじょーぶですか??とこえをかけただけで通り過ぎた。普通ならば手を差し出すべきところだ。

こういうコントロールがきかないほどに太っている。

そんなことを思い出しつつ、一日を総括した。かなり残念な山行きとなった。

丸山から独標の右に前穂高岳(3090m)らしきピークが見えていた。独標の上からは、ピラミッドピーク(2750m)、西穂高岳、奥穂高岳(3190m)、前穂高岳、岐阜側に笠ヶ岳、見下ろせば岳沢から上高地、焼岳(2455m)とさぞかし壮観な眺めであったろう。ため息である。

丸山方面から独標その奥に西穗高、右側は前穗高か?

いつから山を目指したか。それは、かなり鮮明に覚えている。

7年前に他界した母に連れられて、新幹線、中央本線と乗り継ぎ、松本の味噌蔵に泊めてもらった。石井さんだったと思う。母の大学時代の友であったと覚えている。

遅くに松本に着いたので夕食は古い洋食屋のスパゲッティであったと覚えている。屋号をどんぐりとか言った。

泊めてもらって、朝出された味噌汁のまことに美味かったことを覚えている。味噌蔵も見学した。

ピアノが置いてあったので、覚えたばかりのベートーヴェンのバガテルを弾いた。ご主人がとても褒めてくれた。

まもなく山のはなしになり、ご主人が、山に行ったきり何日も帰ってこなかった話になった。

信州はこれからどこへ行くべきかということで、それは絶対に上高地だと言われた。神高地とも言うんだと教えてくれた。

松本駅から新島々まで電車で行って、バスに乗った。龍の喉を通り過ぎるようなゴツゴツしたトンネルをくぐるとそこは果たして神の地であった。

奥穂高を中心としたピークの数々、手前にくだる巨大なカールを河童橋から唖然として仰ぎ見た。私がいまこのロープウェイに揺られているのはこの時間の続きである。

西穂独標はその時に見たピークの一番左端に見えたはずである。

信州リンゴを買って梓川で洗い母と並んで山を見上げながらゴリゴリかじったのを覚えている。

独標をしくじったのはちょっと堪えた。

ここでギブアップ。令和3年8月2日12時38分。
あの上に立ちたかった。

投稿者: 髙橋 智聡

ピアノを50年以上弾いている。芸事が大好きで、ほかに、茶道、義太夫三味線、能管、ドイツリートなどいろいろ手を出したが、すべて下手の横好きだった。西洋の古典音楽と日本の文楽をこよなく愛する。この15年ほど、夏山行にはまっているが、太ってしまったのと、まとまった時間がとれないのが悩み。金沢からなら、2−3時間もあれば、北アルプスの主要な峰々の登り口に到達する。そして、虎ファン。現、金沢大学がん進展制御研究所教授、内科医。研究の話は、HPで。 http://omb.w3.kanazawa-u.ac.jp/index.html

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