Pause bitte! ピアニストの最期

Pause bitte! ピアニストの最期 7月19日〜8月23日

ヴィルヘルム・バックハウス (1884.3.26~1969.7.5)

ドイツ語で実際どう言ったかは記録が出てこない。

1968年6月28日、彼は、ベートーベンの18番のソナタの3楽章を演奏中に「ちょっと、やすませてください!」と言い残し、舞台を去った。

心筋梗塞であったろうと思われる。

1週間後彼はこの世を去った。

ベートーベンの直系とされ、その演奏は、今日に至るまで、ベートーベンのソナタ、ピアノ協奏曲の第一の範である。

私は、中学時に、ロンドンレコードから出た10枚組のピアノソナタ全集を親にねだった。実に荘重な装丁であり、分厚い解説書が入っていた。

全32曲のソナタが録音されたこのレコードを、当時の私は、押し頂くようにプレーヤーにかけ、何度も何度も聴いた。

この頃から40年以上も経つが、いまだにこの演奏よりも上位のものを見いださない。その位絶対的な解釈である。

この最期の演奏会と前々日の演奏会は、録音として残っている。ワルトシュタインを弾き、ミスタッチは多いが、「鍵盤の獅子王」の風格は残っている。

演奏中止を願い出た場面はいろいろに語り継がれている。

金子学氏によると、18番ソナタは、最後まで弾けなかったが、なんと、彼は、そこからプログラムを変更して、この日のコンサートを最後までをやったというのである。

鍵盤の獅子王、恐るべし。

この人のベートーベンやブラームスを聴くと、どうやったら、音楽に、このような鋼鉄の骨格が入るのであろうかと思う。

引用したい録音は数多あるが、これがよいかもしれない。ベートーベンのたどり着いた境地を伝統的なベートーベン奏法によって表現し尽くしている。

2

クララ・ハスキル (1895.1.7~1960.12.7)

私が最も敬愛するモーツァルト弾きである。

人生にたった一度K.271を、オケを置いて弾いたときも、彼女の演奏を規範とした。

若いときに脊柱側彎に襲われ、精神的な問題も重なって、演奏活動を中断する。

ユダヤ系であったため、第2次世界大戦中ナチスによる迫害を逃れ転々とする。

この人の存在に光が当たったのは、死の15年前ほどからである。

アルテゥール・グリュミオーと遺したモーツァルトとベートーベンのソナタ集は、このジャンルの一つの規範であると言って良い。

グリュミオーとの演奏会のため彼の故郷であるブリュッセルの駅にあり、階段で躓いたらしい。落ちるとき、手をかばったために、かえって致命的な傷を負った。

モーツァルトK.308 ホ短調バイオリンソナタ グリュミオーとの演奏を引用しておく。

3

ディヌ・リパッティ (1917.3.19~1950.12.2)

ショパンのワルツ集を擦り切れるほどに聴いた。

最後の演奏会は1950年9月16日であった。

この日の事はやはり金子学氏が書き残している。

悪性リンパ腫の末期であり、確実にこれが最期と覚悟してステージに上っている。

ホールに到着し楽屋までの階段を、息切れをこらえながら登った。

彼の妻は、この光景を、キリストが十字架を背負ってゴルゴダの丘を登ったに喩えた。

告別演奏会の音源を、長いが、引用しておく。

ショパンのワルツを最後の一曲を弾ききれず、楽屋に戻り、しかし、舞台に再び戻って、バッハのBWV147のカンタータの終曲を弾き、一生の演奏を終えた。

4

ウラディミール・ホロヴィッツ (1903.10.1~1989.11.5)

この人の日本での最終演奏会を私は聴いた。1986年6月昭和女子大学人見記念講堂。

1983年の初来日が体調不良で散々であったことはつとに有名だが、3年後に果たしたこの時のリベンジが如何に凄いものだったかは、あまり語られない。この演奏会に居合わせた事は、ピアノを弾く者としてこれに勝る幸せは無かったと思う。初来日の失敗のためか、チケットは意外にあっさりと手に入った。プログラムを思い出してみる。

モーツァルト ソナタK.330

ラフマニノフ プレリュードを2曲

スクリャービン 十八番(おはこ)のOp.8のエチュード12番ともうひとつ

シューマン アラベスク

リスト コンソレーション3番、ウイーンの夜会6番

ショパン マズルカのどれか、スケルツォ1番

シューベルト 楽興の時3番

モシュコフスキー エチュードを1曲

ピアノも椅子もニューヨークの自宅から運んでくる。

近寄ってみると椅子にガムテープが貼ってあった。

スクリャービンのエチュードは、彼が若い頃、アンコールでこれをせがむ聴衆が多かったという。なるほどと思った。

この人のシューマンは、内声が極めて美しく、しかも、上下の進行から際立たせて弾かれるため、あたかも組紐の様な音楽になる。この来日の別のプログラムがクライスレリアーナであった。これも本当に聴きたかった。

ウイーンの夜会は、テーマのワルツのオクターブの弾き方がこの人ならではであった。多分、小指は使わず、薬指で払っている。

モシュコフスキー、ああ、おわっちゃう、と思った。

ホロヴィッツを語るのに必須の曲ばかりであった。

ホールを出ると、顔を知っている音楽家や評論家が沢山居た。

この人の死に様を調べてみると、最終レコーディングの4日後、自宅で食事中に急逝した由である。彼がいつもショパンの最後を軽くおしゃれに終わるようにあっさりと逝った。

引用するなら、やはり、これか。

5

私はどうやって死ぬんだろう。

Cell誌に最終リバイスを送るボタンをクリックしそのまま突っ伏して死んでいる。

サイエンティストならこれがかっこいい。

ベートーベンの17番のソナタを終楽章まで弾き終え、そのまま左側に崩れ落ち、弟子が体を引き起こすともはや息をしていない。

これは、あるいは、皆に別れを告げるように、26番を最後まで弾いて、両手を挙げ、そのまま後ろに倒れるのでも良い。

引用はない。

(終わり)

投稿者: 髙橋 智聡

ピアノを50年以上弾いている。芸事が大好きで、ほかに、茶道、義太夫三味線、能管、ドイツリートなどいろいろ手を出したが、すべて下手の横好きだった。西洋の古典音楽と日本の文楽をこよなく愛する。この15年ほど、夏山行にはまっているが、太ってしまったのと、まとまった時間がとれないのが悩み。金沢からなら、2−3時間もあれば、北アルプスの主要な峰々の登り口に到達する。そして、虎ファン。現、金沢大学がん進展制御研究所教授、内科医。研究の話は、HPで。 http://omb.w3.kanazawa-u.ac.jp/index.html

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