K. 466

K.466 7月19日〜

1

「モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない。涙の裡に玩弄するには美しすぎる。」と小林秀雄が書いたのは、ト短調クインテットK.516のアレグロである。

この曲はクァルテットにビオラをもう一つ足した編成になっている。冒頭の有名な旋律ではこのもうひとつのビオラは出てこぬが、途中から加わり、ファーストビオラの2度下を弾き始める。

このことによってこの曲の悲しみが倍増する。

これはクァルテットでなくクインテットでなければならない。

モーツァルトの短調の曲を語る時に、小林秀雄の評論はよく用いられる。同じト短調のK.550の交響曲もよく例に挙げられる。

しかし、ピアノ弾きにとって、モーツァルトの短調といえば、第1に、K.466ニ短調のピアノ協奏曲である。それに準じてK.310イ短調のソナタとK.491ハ短調ピアノ協奏曲というところであろう。

K.466が発表されたのが、1785年2月、K.626のレクイエムを未完の侭死んだのが1791年12月5日であるから、K.466以降の160曲が6年と10ヶ月の間に書かれた計算になる。これらには、当然、フィガロK.492、ドンジョヴァンニK.527、コシK.558、魔笛K.620が含まれる。

私がブログ一つを書き上げるより素早く、もちろん、論文1報を完成させるのより猛烈に早く、彼は、まるで飯でも食らうように曲を書いた。

K.466は私にとっても特別な曲である。

受験準備の為、中学2年の終わりにピアノを中断し、高校時代は寮生・下宿生であったため、夏冬春休みに実家において触れる以外は、ごくたまに音楽室のピアノを借りるくらいで、浪人をした1年間は、とうとう紙に鍵盤を描いて指を這わせた。

ピアノを弾くことに飢えていた私が、大学入学後、親に百万遍の近くのアパートを借りてもらい、そこにアトラス製のピアノを据え、すぐに取りかかった曲の一つがこれである。

1楽章は、オーケストラが8分音符のシンコペーションで開始し、暗く長い旋律を紡いできて、ピアノが4分音符のシンコペーションで飛び込み、悲しく美しく語り始める。

ニ短調からほとんど転調せず、陽転することもほとんどなく、悲しみの中をのたうち回るように終わる。様々な作曲家がカデンツァを付けたが、私は、ベートーベンのものを好む。重く壮麗である。

ピアノパートの冒頭 シンコペーションが非常に有効に機能

2楽章は、しかし、ピアノが先行し、変ロ長調の夢見るような旋律を奏で、オーケストラがこれを追う。この旋律は極めて此岸的であり、フレーズの解決部分は、人生の時を刻む時計のように聞こえる。よく生きたね、でもお疲れさん、チックタックチックタックと聞こえる。

もしも私に孫ができてピアノを良くするなら、バイオリンを娘が弾き、implsから編曲版でもダウンロードしてきて、私の死の床の傍らで、これを聴かせてくれると良いと思う。

この変ロ長調は、しかし、突然ニ短調に戻り、この世の終わりのように絶望的な中間部が現れる。そして、嵐が去った後、何事も無かったかのように変ロ長調をもう一遍やって終わる。

3楽章は、ピアノの極めて激しい分散和音で開始し、激情のなかを自由自在に駆け巡る。やがて所々で陽転の兆しが見え始め、カデンツァ(ベートーベンのものがやはり良い)をはさみ、まるで、大雨の中を飛び立った飛行機が、ぶ厚い雲を突き破ってぽっかり青い空に浮き出たかの如くニ長調に転じたクライマックスの末に集結する。

ここもシンコペーションの極致

2

様々なピアニストと指揮者がこの曲を録音している。吹き込んでいないピアニストを捜す方が難しい。Implsもすごいが、Naxosというのがあって、約800レーベルのCDが入っており、特定の作曲家の特定の曲のディスコグラフィーが連なる。

K.466の演奏は、329枚登録してある。私が中学時代から聴いていたグルダ・アバド版もある。K.467ハ長調とカップルしていて、両方とも終始力強い演奏。

様々な録音を聞き比べると、ピリス-アバド、リヒテル-ザンデルリンクなどが好み。リヒテルは、シンコペーションの意味をきちんと解釈した弾き方を貫き通す。

捜すと、ミケランジェリ-ミュンヒンガーあるいはジュリーニ、ワルターの若い頃の弾き振りなんてある。

シフ、ルプー、ゼルキン、ケンプ、ブレンデル、私の好きな演奏家の録音が並ぶ。

アルゲリチは多くの演奏がそうだが、拍の取り方が僕には生理的について行けない。

最近のものでは、キーシンの弾き振りが好きである。一種異様なモーツァルトであるが、短いパッセージの中にも極めてきちん彫琢が施され、全体構想は雄大である。私はこのピアニストの追っかけの一人で、日本に来れば必ず聴きに行く。

しかし、私が最も愛聴するのは、ルーマニア出身の希代のモーツァルト弾き、クララ・ハスキルの盤である。彼女は私が生まれる前にブリュッセルの駅で遭った事故が元で亡くなっている。

アーサー(アルチュール)・グリュミオーと吹き込んだモーツァルトのバイオリンソナタ集がつとに有名であるが、モーツァルトのピアノ協奏曲も名盤が多い。

K.466だけでも、マルケビッチ、カラヤン、クレンペラー、ヒンデミット、ミュンシュ、パウムガルトナー、フリッチャイと、当時の売れっ子指揮者達がこぞって録音を行っている。

若い間正当に評価されず、しかし、死の前の10年間ほどに一気にスポットライトの当たり一世を風靡したピアニストである。

私はK.271を稽古するとき、彼女の演奏を第一のお手本とした。

写真で見ると彼女の両手はかなりか細い。録音で聴かれる音も、轟々と鳴ることは決して無い。控えめで、しかし、芯はきちんと残り、パッセージは極めて均整である。モーツァルトのピアノ協奏曲を弾くとき、オケよりも少し遅れ気味に開始し、遠くから響くような感じがする。きちんとしたしかし必要最小限の彫琢が施され、淡々と弾き進み、クライマックスに来て漸く感情が迸る。

マルケビッチ盤は、死の一月前の録音とある。多分これが一番の名盤とされている。

ヒンデミット盤は、1楽章の開始が異様である。この人は作曲家であるから、モーツァルト演奏においても、彼独自の考えを示している。

冒頭の8分音符のシンコペーションが極めて遅いテンポで開始され、しかも、ガサガサとしている。途中で入る下降あるいは上昇する装飾音には目もくれずに、前のよく見えぬ嵐の中を突き進んできて、ピアノが鳴って、やっと一軒の家を発見した、という感じで進行する。

ヘルベルト・フォン・カラヤンとの録音もある。この人の音楽には賛否両論ある。私は、曲によるが、総じて嫌いなタイプである。

K.466だと、ヒンデミットと対照的に異様に速い開始で、せわしなくも感じる。1楽章の演奏時間を比べると他の指揮者よりも1分以上速く終わっている。

第1バイオリンに強めの表情を付けさせるのが好きらしく、やたら急き込むような表現をしばしば強いる。ピアノに絡みつくようにオケを這わせる。ピアノの表現が激してくるに合わせて、オケを過度にアチェレランドするので、表現がくどくなる。演歌の伴奏とそう変わらぬ。

モーツァルトと同じザルツブルク出身なのに。

例えば、カラヤンの晩年の魔笛の録音をクレンペラー盤と比べてみるとよくわかる。同じモーツァルトとは思わないと思う。

天下のハスキルにこれを強いたのである。

私は若い頃にやはりザルツブルクで、カラヤンが指揮、オケが、ウィーン国立歌劇場でなくウィーン・フィルハーモニー、歌手が、アグネス・バルツァ、ホセ・カレーラス、ホセ・ファン・ダムという布陣でカルメンを聴いたことがある。素晴らしい出来であったが、バルツァはカラヤンの指示を好まず、後に喧嘩別れになったと聞いた。

当時ザルツブルク音楽祭のチケットを入手するには日本郵船のツアーに参加するしか無く、チケットにも相応のプレミアが付いた。今なら、ネットでポチッと買える。

ウィーンに寄った次に、このツアー参加し、カラヤンの演奏を聴いた夜、宿泊したホテルのレストランにおいて日本人数人でイタリアンを食った。こういう日本人の大半はかなりのカラヤンファンである。

東大の仏文の先生だかが参加していて、キアンティ・クラシコを選択され、一緒に飲んだ。これが私の初めての渡欧と話すと、こんな田舎に来ていては駄目だ、まずパリを見よ!と叱られた。

この席で、かなり酔いの回った私は、カラヤンが好きになれず、それが何故かという話をしたと思う。これはおおいに座の不興を買い、東大の仏文の先生から、君は酔いすぎている、と、退場を命ぜられた。席のなかで私に次いで年若の一人、彼は音響工学の専門家だった、が、私を部屋まで送ってくれた。

この席のなかには、ベルリンフィルの楽員と深いつながりを持つひともいて、日中一緒に町を歩いたとき、ホルン奏者とばったり会い、私にも紹介してくれた。このホルン奏者はカラヤンをあまり尊敬していない口ぶりではあった。

ザルツブルクでは、カラヤン-ベルリンフィルでバッハのロ短調ミサも聞いた。カラヤンは聴衆に許しを請うた上で椅子に座って指揮をした。美しいバッハであった。

カラヤンをホールで聴くと、レコード(CD)で聞く、人工調味料で味付けした中華料理のような感じで無く、オケの音を素直に引き出した、快い音楽である。

この人の間違いは、多分、レコーディングのあとにある。音源に様々に手を入れ自分好みにしたことで有名である。

こういうことをしなかったであろう青年期の録音は、とても良かった。私は、シュバルツコップが元帥夫人を歌ったバラの騎士を愛聴している。

だいぶ話がそれた。ハスキル-カラヤン版は、そんな感じである。

この時代の指揮者達に関してはまた別の稿で触れよう。

3

小林秀雄に戻ってみよう。

私は、かつて、京都大学医学部の小林秀雄になることを目指した。

私の世代ならば、彼の「無常という事」は、お読みになった事があると思う。

私の習った高校の国文学の砂田先生は、「無常という事」のアナリーゼを、かなり時間をかけておやりになった。

彼は東大卒で、東大の文学者達をよく取り上げられた。

この「無常という事」に興味をもち、「モオツァルト」を読んだ私は、圧倒されるとともに、これならば自分も書けると思った。

音楽の知識ならば小林秀雄に負けはしない。音楽録音は今日日高度にデジタルライブラリー化されているので、音楽で評論を書くのは比較的容易である。

しかし、彼にあって私に無いのは、彼の骨髄を形成した文学や哲学の深い経験である。

「モオツァルト」にはゲーテがしばしば登場し、モーツァルトの生きた時代の人々の精神基盤を語らせる。

教養部1−2年の豊富な時間を費やせば、あるいは、小林秀雄の十分の1ほどの自己鍛錬はやれるかもしれぬ。

東京大学医学部は、古くは森鴎外、そして、斎藤茂吉、水原秋櫻子、安部公房、加藤周一等を輩出した。

かたや、我が母校からは、めぼしい作家・批評家は出ていない。歌人くらいか。

私は、モーツァルトとベートーベンの生きた時代を理解すべく、この二人に深いつながりのあったゲーテをまず学んだ。

「ファウスト」も「ウェルテル」も様々な批評も読んだ。

ドイツ語の学習が進んで来て、途中からは、原語で読んだ。「イタリア紀行」は、完全読破は無理だったが途中までは読んだと思う。

教養部だと、こういう勉強の指南をしてくれる先生もいた。

有福考岳という、京都大学のドイツ哲学の教授にして、曹洞宗のお寺の住職という先生がいて、カントの「道徳形而上学言論」(Grundlegung zur Metaphysik der Sitten; 通称グルントレーグンク)を1年かけて原語で読んだ。

カントは、一文一文が長大で、これを読み解くのは至難の業であったが、1年続けると、パターンが見えてくる。

「カント先生」を身近な存在として感じることが出来るようになったのは、教養部時代の大きな収穫である。

有福先生には、美学を勉強するのにどういう入門書が良いかなど相談した。

カントは、モーツァルトよりも少し早い時代に生き、しかも、プロイセン王国のケーニヒスベルクから外に出たこともあまり無いようである。思索は慎重にすぎ、諸国を遍歴し、多様な人生経験を積んだたゲーテのような面白みには全く欠ける哲学者である。

例えば、「善い」ということの本質とは何かを延々と論じる。「善い」の対局には「悪い」があるが、これらをどう決めるかは一義的にはできぬ。

古い価値観を疑い、新しい文学を拓き、音楽に新しい言葉を語らせた、この頃の欧州の精神的な変遷の様態を、カントやゲーテの著作に見て取ることが出来る。

まずは、こんな勉強に夢中になった。

新しい「モオツァルト」を書くつもりであった。

この頃、私の下宿に遊びに来て、私が原著を読むのを見て、「こいつの下宿に行くとブランデー片手にゲーテをドイツ語で読んどった」と、今でも、私を誰かに紹介するたびに繰り返す同級生がいる。

ブランデーは余計であるが、ゲーテをドイツ語で読んだのには、訳がある。そこだけ切り取っても私のこの頃の企てを理解できぬ。

モーツァルトやベートーベンを理解するのに必須と思ったからである。鍵盤をなぞるだけでは出来ぬ勉強をしたまでだ。

K.466も、先行して文学において起った「疾風怒濤」(Strum und Drang)を知らなければ、これが作曲された時代の息吹を十全には感じられぬかもしれぬ。

近代医学を勉強する前にドイツ語を勉強するのも、この黎明期を創った医学者達が使用した原語によってものを考えてみる機会を得るためであるはずである。

ドイツ語でものを読んだがそれほど高尚か?

ワグナーを理解しようとニーチェにも挑戦した。

私は、しかし、ほどなく18−19世紀のドイツ哲学では当然満足できなくなり、次に、一挙に時代を飛び越し、「記号論」を学び始めた。

当時、京都大学の生協に行けば、フェルディナン・ド・ソシュール、ロラン・バルト、ウンベルト・エーコ、大分下がるが、浅田彰、等の本が山積みになっていた。

これらの近くに少年マガジンも山積みになるのだから、油断すべからざる書店である。どっちに行くか君次第さ、と。

哲学書に馴染みのない方でも、ウンベルト・エーコの「薔薇の名前」といえば、あ、そうか、となられると思う。これは、ショーン・コネリーが主演で映画化された、いわば推理小説である。

映画を見たか見ぬか記憶に無いのであるが、原著は(イタリア語は読めぬので、河島英昭訳で)、文章と語句のなかに様々な歴史的・宗教的・文学的背景が詰め込まれる。記号論的手法というのであろうか、犯人を推理しながら、実は、エーコの意図であるとかそこに込められた真の意味を並行して推理する方向に導かれる。

山口の田舎から出てきた学生がこれらの著書に気を取られぬ筈が無い。

新しい「モオツァルト」の目的はいつしか忘れ、新しい考え方の蒐集・咀嚼に向かった。

教養部で好きな講義のみに出て、ピアノを稽古し、夕飯を済ますと、寝るまで、上記の勉強に夢中になった。

我が生涯において最も知的に充実した期間であった。

しかし、そんな時代は長く続かなかった。

ある日、同級生のメグちゃんに誘われ、茶道部に入部した。

ピアノの邪魔になるので、運動部には入らなかったし、オケは諦めた。

中学3年の時、受験勉強に時間を割くため、ピアノかテニスかどちらかを辞めるという選択を迫られ、テニス部ではレギュラーであり、ペアを組んでいたことから、泣きながらピアノを中断した。一生の不覚である。だから、大学で運動部だけは入らなかった。

週1木曜のみの茶道部であれば時間的余裕はある。

暇つぶしのつもりで参加したが、これが存外面白かった。

茶を点てる作法、飲む作法、これらは気持ちさえ込めればどうでも良い。

面白いと思ったのは、茶器の造作、由来、床の飾りの一つ一つにも歴史と意味が宿っていることである。畳がなんでこんな形と装飾なのか、出入り口は何故こっちにあるのか、にまで思いをいたすようになる。毎週末に出かける茶会にも大概趣向というものが与えられていた。「記号論」である。

茶人の伝記など調べるようになり、利休は好きになれなかったが、織部は私の尊敬を勝ち得たひとりであった。

茶道部体験の文集を淡交社から出した時に編集長を仰せつかった事があり、この書の後書きに、記号論的手法を「濫用」した文章を書き付けた。読んだもの皆が、訳がわからぬと言った。

良い季節になるとほぼ毎週末出かける茶会は、好むと好まざるに関わらず関西の女子大学茶道部の主催するものが大半であった。楽しかった。

この茶道部の一年先輩に、神戸の真珠屋のどら息子と土佐の大田舎者が居た。

この二人が、ほとんど毎夜、夕食の帰りに、私の下宿にコーヒーを飲みに来るようになった。

神戸の真珠屋のどら息子は、京大の理学部かなんかを一度卒業して医学部に入り直している。人生経験は長いし、話は面白い。口から先に産まれたとは彼のような人間を指すのであろう。後に精神科医として大成したと聞く。クラシック音楽、日本の古典芸能に通じ、いろいろなことを教えてくれた。特に、歌舞伎の世界に僕を暴露してくれたのは、一生の宝物になった。

土佐の大田舎者は、卓越した記憶力を持ち、複数の外国語を操った。しかし、これ以外は、ただの田舎者でであった。

この二人が夜な夜な現れるので、私の勉強はしばし長時間中断した。悪いことに、私の部屋には、アコースティックピアノもあるし、親父に買わせたかなり立派なオーディオセットが据えてあり、どら息子が様々なレコードを持ってきては聞かせてくれる。

この二人が来ぬようになってからは、いまの家内が頻繁にやってきて、私が飯を作って食わせる。

そして、やがて、ウイルス発がん研究と出会い、90度生き方を変え、この時代と決別する。

京都大学の小林秀雄はやめた。

4

自分の結婚式でK.271を弾いた。この顛末は別のブログで語る。

意外なところでK.466を弾くことになった。

研修医の1年目は京大病院の内科を1->2->3と一周した。

第2内科を回った時がちょうど忘年会のシーズンで、研修医たちで出し物を考えた。

この教室の医局忘年会は、凝った余興をやるので有名である。それを井村裕夫教授がおおいに喜ぶのだそうだ。

男の研修医が舞台の上で並んで「白鳥の湖」の白鳥を踊り、私がシンセサイザー、山本先生がホルンで伴奏という珍妙な一座をつくった。衣装まで着けたかどうかは覚えない。

これは、大いに受けた。

この後、血液の研究室の高橋隆先生に声をかけられた。凄いトレモロだったね。君ピアノ弾けるんだと。

高橋先生も大のピアノ好きであった。この時から高橋先生とのお付き合いが始まる。

研修1年目を終えて、大津の病院に赴任した。高橋先生のご自宅は大津にあり、家内や一年下の研修医らとともにお招きに預かった。グランドピアノが2台あった。

モーツァルトの協奏曲は弾けるか?と尋ねられた。

K.466あるいはK.271と答えた。

じゃあ、K.466をということで、高橋先生が伴奏部分を達者に弾き始められ、私がソロを弾いた。

何も用意せずに行ったので、散々であったが、楽しかった。

高橋先生とは後に大津でのミニコンサートでK.271を再演する事にもなった。

その後長くお会いしていないが、お元気にされて居るであろうか?

(続く、かも)

ランゲによる肖像 何故未完なのか謎
マルケビッチとの録音が残っていた。ここまで読んでいただいたお礼に。

投稿者: 髙橋 智聡

ピアノを50年以上弾いている。芸事が大好きで、ほかに、茶道、義太夫三味線、能管、ドイツリートなどいろいろ手を出したが、すべて下手の横好きだった。西洋の古典音楽と日本の文楽をこよなく愛する。この15年ほど、夏山行にはまっているが、太ってしまったのと、まとまった時間がとれないのが悩み。金沢からなら、2−3時間もあれば、北アルプスの主要な峰々の登り口に到達する。そして、虎ファン。現、金沢大学がん進展制御研究所教授、内科医。研究の話は、HPで。 http://omb.w3.kanazawa-u.ac.jp/index.html

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