私とウイルス学 令和2年7月31日〜
ご先祖に山口の田舎で医者をやった人が居ると母親の法事に集まった誰からか聞かされた事がある。これを除くと、私の父親が内科医、私が基礎のがん研究者で内科医を掛け持ち、そして、今春、長男が医科大学に合格し、三代続けて医療者として飯を食うことになった。しかし、COVID-19のため、長男は、入学式が無くなり、ガイダンスのために30分ほど登学したが、キャンパスから急いで追い出され、それきり9月30日までキャンパス内への立ち入りを禁じられた。クラブ活動もできない。ウイルス感染症の影響と実害を最も強く受けたのは長男であろう。しかし、父と私には、ウイルス学との長い長い付き合いがあった。
- SMON (Subacute Myelo-Optico-Neuropathy)
もちろんウイルスが原因で無い。キノホルム服用が原因の薬害である。しかし、この疾患の研究の歴史を知る人ならば、この話に耳目を欹てるであろう。
平成元年10月22日、私と家内は新郎側の主客に促され着席し、その人の話に聞き入った。その人とは、井上幸重京都大学ウイルス研究所元助教授である。
医学研究を勝利と敗北に分類することがもし許されるならば、この人は、間違いなく、敗北側に立った人であった。そして今でも、患者や遺族、関係者から、SMONウイルス説をとったことによって糾弾され続けている。
この人を主客とすると媒酌人の畑中正一先生(当時京都大学ウイルス研究所教授)に告げたとき、彼は少し難しい表情をした。
(続く)