ラケルさん

2011年9月14日水曜日(原文のまま)

1996~1998だったと思う。京都大学で、2年間、ブラジルからの日系人留学生の面倒をみた。1995に行った米国での学会でその学生のボスと意気投合し、当時の私のボスのところに、大学院生をひとり送って来た。よくがんばるひとで、当時cDNAのみクローニングしていたRECK遺伝子のゲノム遺伝子のクローニングを一緒にやった。当時だからP32放射性同位元素を湯水のように使いながら、バクテリオファージライブラリーのハイブリダイゼーションクローニングによるジーンウォーキングを1年あまりも続けた。たぶん30Kb(3万塩基対)は行った。この成果は、のちのプロモーター解析やノックアウトマウスの樹立につながった。4年間居てくれるかと期待したが、ご結婚されることになり、2年目に帰国されたのを泣く泣く見送った。それ以来ながいつきあいになった。たしか、日系2世で、山形にルーツをもつひとだった。今年は、そのボスから独立したひとが、JICAのシステムを使って、2ヶ月だけ修士学生を送ってくれた。今度は、じつに日系4世ということである。日本ははじめてなので、金沢滞在中の週末はいろんなところへ行ってもらった。五箇山も。いくつかのご親戚とも初対面を果たされた由である。実は、私の祖母は、米国への移民であった。彼女が曾祖母の腹から産まれ落ちたのは、サンフランシスコであった。祖母は、幼少時に帰国するのだが、祖母の兄は、大戦をまたいで、死ぬまで留まった。強制収容キャンプにもはいった。いまでもロサンジェルスには係累が沢山いて、祖母は亡くなる前に一度彼らを訪ねて渡米している。海外移民は、日本でも海外でも大変だったわけで、我々のご先祖は、ずいぶん苦労をしたのである。そんなわけで、在外日系人には親近感を持っている。彼女の口から3世2世のひとたちの生活を聞く。彼女が属するサンパウロ大は、ラテンアメリカ随一のアカデミアだが、学生の半分は日系人ということである。彼女が非常に質の高い教育を受けていることもすぐに判った。アウェイで、ここまでがんばった同胞を誇りに思う。ところで、私も、3年あまりをアウェイで家族と生活した。日本人だからどうのと感じることは滅多になかったが、思いがけなくナショナリズムを強烈に意識させられたのが、9.11であった。あれから10年。ボストン中が騒然となった日をいまでも鮮烈に思い出す。8月に両親とWTCを訪れたところだった。そして、間もなくして、町じゅうの葬列。娘の小学校でも肉親を亡くされた方が何人もいた。事件直後に、ニュースで真珠湾攻撃の画像を繰り返し流すのには、すこしまいった。当時の自分たちの立ち位置が、考えていたのとはちょっと違うことに気づいた。シナゴーグの前のバリケード。中東系のひとが近くに居るときの緊張感。マサチューセッツ州から奨学金と研究費を得ていた私は、セキュリティー増強の為に、間もなく、これらのすべてを失った。それもあって、2002に米国撤退を決意した。話がそれたが、つまり、母国でない場所で生きるすべを得ることは容易ではない。移り住む国の文化や歴史そして国民性を完璧に理解してやっと実現できることだろう。言語など言わずもがなである。多分ラケルさんのご先祖も私の係累たちもそれを成し遂げてきたのだ。そのような努力無しに権利だけを主張すれば、先は自ずと知れる。

写真はラケルさんたちと行った五箇山

投稿者: 髙橋 智聡

ピアノを50年以上弾いている。芸事が大好きで、ほかに、茶道、義太夫三味線、能管、ドイツリートなどいろいろ手を出したが、すべて下手の横好きだった。西洋の古典音楽と日本の文楽をこよなく愛する。この15年ほど、夏山行にはまっているが、太ってしまったのと、まとまった時間がとれないのが悩み。金沢からなら、2−3時間もあれば、北アルプスの主要な峰々の登り口に到達する。そして、虎ファン。現、金沢大学がん進展制御研究所教授、内科医。研究の話は、HPで。 http://omb.w3.kanazawa-u.ac.jp/index.html

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