室生犀星

室生犀星

2011年1月24日月曜日ブログより(当時の原文のまま)

土曜日にがん研で開催されたセミナーでしゃべらせていただいた。夜は、東京からはるばる来られた先生たちやがん研の若い人たちと、柿の木畠で懇親会。これは、楽しかった。午前零時近くに散会。先週は土日がセンター試験の監督に当たっていた。もう終わったから言っても良いと思う。この冬一番の寒波と大雪も重なり、大変な2日間であった。この時、角間に降る雪の凄さをとうとう体験することになった。帰宅時、朝駐めた車を雪の中から探し出し、20センチ以上もつもった雪をこそげおとし、バンパーからたれるつららを払う。昨年末から雪の日が続き、だんだん慣れてはいたが、大寒も間近のこの日、その極致(だとよいが)を体験した。多くの受験生が交通の混乱を警戒して、予定開始時刻の2時間以上も前から受験会場に到着しており、私の監督した教室では、遅刻者はいなかった。このへん、さすがに北陸の子である。しかし、いかにも体調を崩してしまった学生もおり、それも含めて勝負ではあるが、よくよく本人も残念なことと感じた。ということで、今週の日曜は、金沢で完全休養ということにした。ずっと行ってみたかった室生犀星記念館へ。2日ほど前から舗道の雪が溶けかけ、楽に歩いて行けた。私のいた1時間あまり、他の来訪者はない。展示の規模はさほど大きくないが、いくつかの作品の原稿を間近に見ることができる。犀星自身が朗読し吹き込みを行った「小景異情」をヘッドフォンを通して聴くこともできる。私は、高校生の時、この作品に初めて接し、金沢にひどく憬れたことがある。私の勝手な解釈では、「都」にいる作者が、功成るまでは、ふるさと=金沢=「とおきみやこ」には帰れないという決意と故郷への思いの相克をあらわした作品と思う。漢字で書かれた「都」が東京で、ひらがなでかかれた「みやこ」が金沢だと、つい最近おなくなりになった私の高校時代の国文学の先生に教わったような記憶がある。彼の最初の「都」時代が、苦労ばかりであったことを、今日ここを訪れてあらためて知った。何度も「都」を諦めて「みやこ」に帰るも、同郷の夫人を得、暖かい家庭を持ったことが、その後の豊穣な作品の生成につながったのだろう。文壇に名を得たのち再び「都」にあった彼が「みやこ」に戻ることはなかった。いまの私は「みやこ」にいて、時々古い「都」を思うという境遇だ。犀星という号は、市内を流れる犀川からである。そのほとりにあり、彼が幼少期から青年期を過ごした雨宝院の意外に小さいのに驚いた。

うつくしき川は流れたり

そのほとりに我は住みぬ

春は春、なつはなつの

花つける堤に坐りて

こまやけき本のなさけと愛とを知りぬ

美しき微風ととも

蒼き波たたへたり

室生犀星 「犀川」

写真は、犀星の愛猫ジイノ。火鉢の縁に前足をかけて寝る姿が、犀星の自慢だったそうである。記念館にも飾ってあった。出典は、http://www.kanazawa-museum.jp/saisei/

投稿者: 髙橋 智聡

ピアノを50年以上弾いている。芸事が大好きで、ほかに、茶道、義太夫三味線、能管、ドイツリートなどいろいろ手を出したが、すべて下手の横好きだった。西洋の古典音楽と日本の文楽をこよなく愛する。この15年ほど、夏山行にはまっているが、太ってしまったのと、まとまった時間がとれないのが悩み。金沢からなら、2−3時間もあれば、北アルプスの主要な峰々の登り口に到達する。そして、虎ファン。現、金沢大学がん進展制御研究所教授、内科医。研究の話は、HPで。 http://omb.w3.kanazawa-u.ac.jp/index.html

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。