研究に出会った頃

研究に出会った頃

2011年6月13日(原文のまま)


 山口の田舎から一浪して京都大学に入学して、爆発した。ドイツ語会話、ドイツリート、裏千家茶道、森田流能管、義太夫三味線、ピアノと、親が送ってくれる仕送りの大半をお稽古事に注ぎ込んだ。能管の先生は、日本で五指に入るという名人、三味線は、人間国宝五代目鶴沢燕三の弟子であった祇園の芸子さんに師事した。ピアノは、桐朋学園出の現役ピアニストに教えを請い、平日は3時間、休日は7時間練習した。いったいいつ勉学をしたか。この話は、子供たちに滅多にはできぬ。私は、ただひたすら、自分の中の未知なる部分を捜していたのかも知れぬ。しかし、どれも所詮ものにはならず、自分のちっぽけさを思い知る。

 そんなとき、先輩から岩波新書の「ウイルスと癌」という本を紹介された。ごく限られた数の遺伝子の変異で細胞をがん化させることができるという。では、そういう遺伝子を徹底的に解析すれば、癌は征圧できるのではないか。学生だった私は、単純にそう思い込み(この単純さは、今も健在である)、サインでももらうつもりで、今の家内と一緒に、その本の著者畑中正一先生(当時京都大学ウイルス研教授)に会いに行った。その日のうちに技能補佐員として採用された。講義の終わった後(講義はちっとも出なかったので、目が覚めたらというのが正しい)、他でアルバイトをしなくても研究に集中出来るよう給金を出してくれたのだ。私の研究人生は、のっけからsalariedだった。実験を教わり、研究をして、それがそのままお金になる。これに嵌らないわけがない。お稽古事は、放り出した。

 畑中研では、それぞれ生化学、細胞生物学を得意とする二人の大学院生からみっちりと仕込まれ、論文3報に名前を連ねていただいた。しかし、これに飽きたらず、6年生の夏は、近くにおられた秋山徹先生(当時ウイルス研助手、現在東京大学分生研教授)と一緒に仕事をしていた同級生藤田恭之君(現北海道大学遺伝研教授)の仕事にちょっかいを出し、米国から来たRb遺伝子cDNAの遺伝子配列確認を引き受けたりした。一夏かけて、由来のわからない配列を読んで終わった。責任の無い学生であった。

 秋風が吹く頃になって、顔が青ざめてきた。医師国家試験をどうするか。パーが合格点なら、ワンアンダーくらいで通過した。畑中研でのATL研究の経験から、血液医者を志した。初めて看取った患者はAMLであった。遺族は剖検を許してくれた。病理医が子宮にメスを入れた刹那、割面は緑色に光った。Chloromaという現象である。不謹慎ではあるが、この美しさに引き込まれた。研究の女神様から手招きされた気がした。その後、癌研究会癌研究所・京都大学の野田亮先生のもとでRasがん遺伝子を、ハーバード大のMark Ewen先生の元で、Rbがん抑制遺伝子を研究した。今は、ここ金沢大学において新たな生き場所を与えられ、無責任で放縦な大学生時代がここまで連綿と繋がっていることを不思議にさえ思う。況んや、この度は、伝統ある内藤記念科学振興財団の御助成を得ることになった。畑中先生の思いやり、国民の期待の込められた研究費、篤実なるご寄付、家族の支え、そして、多分、研究の女神様のおかげで、学生時代の未知なる自分探しは、未知なる真理探しへと方向を変え、今も続いている。なんとか世の中にお返しをしないといけない。感謝。

(内藤財団時報第88号寄稿)

*藤田恭之君は現在京都大学大学院医学研究科教授です。

投稿者: 髙橋 智聡

ピアノを50年以上弾いている。芸事が大好きで、ほかに、茶道、義太夫三味線、能管、ドイツリートなどいろいろ手を出したが、すべて下手の横好きだった。西洋の古典音楽と日本の文楽をこよなく愛する。この15年ほど、夏山行にはまっているが、太ってしまったのと、まとまった時間がとれないのが悩み。金沢からなら、2−3時間もあれば、北アルプスの主要な峰々の登り口に到達する。そして、虎ファン。現、金沢大学がん進展制御研究所教授、内科医。研究の話は、HPで。 http://omb.w3.kanazawa-u.ac.jp/index.html

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